震災で感じたこと
3月11日を機に、みなさんいろいろと考えることが増えたでしょう。
私も建築に携わる者として、震災と如何に向かい合うべきかいろいろと考えました。しかしこの震災は建築に限る問題ではなく、もっと根本的な問題を孕んでいます。
私たちは合理的なシステムや生産性を重視していく経済組織によって便利な社会を享受しています。一見私たちにとって有益に見えるシステムが、実は「行政機関や経済組織を優先したシステム」であることが今回の震災で大きく浮き彫りとなりました。
しかしずっと以前からそうだったはずです。
高度成長期の公害も、バブル経済も、薬害エイズ問題も、JAL問題も、年金問題も、耐震偽装も全て「同じ構造」です。
01.官僚が「偽りの現実」を維持し続けようとして、表面的な取り
繕いを重ねてきた結果、あらゆるものが歪んでいるということ
02.官僚は選挙で選ばれた者ではなく、また市民が選んだ代表によ
って任命されたものでもないということ
更に重要事項の決定権を持ち、都合の良いように法律作ってい
る にも関わらず責任を問われることがないこと
03.官僚が作成した書面を読み上げるだけの政治家は、官僚にとっ
て責任を負ってくれる「トカゲのしっぽ」的な存在であること
04.官僚と経済組織が分かち難く結びつき、重要事項を民意を反映
せず決めてしまっていること
そこには政治家が不在であること
また存在したとしても「俗な政治家」であること
05.民主主義の支柱となるべきマスメディアが経済組織の利害に
左右され、民主主義が成り立たなくなっていること
私たちにとって有益に見えるシステムは「タテマエ」である。
行政機関や経済組織に飲み込まれたメディアや広告代理店によって、きれいに切り取られた「偽りの現実」を見せられ、「偽りの安心安全」や「偽りの豊かさ」を擦り込まれてきました。
そして目に見えるものを所有したり、消費したり、蓄積することが人生の目的となってしまっています。
つまり「富める国の貧しい国民」である現実。
本来、利潤や自己保身を考慮せずに成り立つ関係性をつくることこそが「本物の安心安全」=「信頼」であり、また使えば使う程価値が増すものが「本物の豊かさ」であるはず。
利潤と自己保身ばかりが優先される行政機関や経済組織が果たして何を生むのでしょう。そうした組織は正しいベクトルに意思決定ができず、また柔軟な対応ができません。
「強さの概念」を考え直さないといけないのではないでしょうか。
大規模で高効率な組織が本当に強いのか。
ヒューマンスケールからスケールアウトした大規模組織の問題は、いったい誰が、どのように責任を取るのか。
私たちはどんな組織に所属しているかより、個人レベルで何をして、どのように生きているかが重要であるを認識しなければなりません。
それは今回、政府や企業よりも被災者の方が遥かに「強さ」を見せつけたことで証明されたように思います。
自然の脅威を現実として無抵抗に受け入れる日本人の気質が「強さ」として賞賛されました。けれども、その無抵抗に受け入れる気質が「偽りの現実」を簡単に受け入れてしまっていることとで、むしろ「弱さ」になってしまってしる現実にも気付かなければなりません。
「偽りの現実」を「しょうがない」ものとして受け入れ、ひとりひとりの思考が停止してしまうことは本当に危険なことです。
「偽りの現実」を無抵抗に受け入れる気質を反省し、ひとりひとりが思考して「本物の政治家」を選挙で選ぶことができたなら、被災地に向け最善の義援活動になるに違いないと思います。